『アルジャーノンに花束を』を読んだ
読了後、なんとも言えない気持ちになった。「感動した」という言葉では足りないし、「考えさせられた」というのも少し違う。もっとずっと素直な、でも言葉にしづらい何かが心に残った。
モヤモヤするので、AIと話しながら、このモヤモヤをできる限り吐き出してみることにした。
チャーリーの日記を読んでいると、否応なしに彼の世界に引きずり込まれる。というより、引きずり込まれるしかない。物語が全て彼の視点で書かれているため、読んでいるうちに自然とチャーリーと同一化してしまう。最初は誤字だらけの文章が、徐々に流暢になっていく。その変化と共に、彼の見る世界も、人々との関係も、どんどん変わっていく。この変化の速さに、読者である自分も心の準備をする暇もなく巻き込まれた。知能の成長に伴う視点の変化、心情の変化、周囲との関係の変化。それらが矢継ぎ早に押し寄せてきて、ゆっくりと消化する時間も与えてくれない。だからこそ、チャーリーと同じように、心も常に揺れ動かされ続けた感覚があった。
以下、よかった話。
両親に会いに行ったことで見えてきたもの。
子供の頃は怖かった母親が、実は強すぎる愛情に苦しんでいたのかもしれないと思うと、複雑な気持ちになる。認知症になりかけているように見える母が、チャーリーのことだけは覚えていたというのも、その愛情の深さを物語っているように感じた。
一方で父親は、子供の頃のチャーリーには優しく接していたように見えたのに、知能が上がった大人のチャーリーに気づかなかった。 表面的には受け入れているように見せながら、どこか他人事のような態度で、結局今の彼の世界にはチャーリーはもういないんだろうなと。
それから、アリスとの関係。先生と生徒から始まり、お互いを想い合う関係になり、でも知能の差によってまた離れていく。最後に特別支援学校で再会したものの、自分が賢かったことを思い出し、アリスにかわいそうだと思われたくないと感じつつ、その場を去る場面にはグッとくるものがあった。
そして、アルジャーノンという存在。賢くなっても、賢くなりすぎても、そして再び知能が下がっていく時も、このネズミとの関係性だけは常に変わってないように見えた。そういう意味で特別だったのかな。 アルジャーノンは、チャーリーにとって本当の意味での「友達」だったのかもしれない。
最後にアルジャーノンの墓に花束を添えて欲しいとう願いにはどういう意図があったんだろうか、
読み終えた今でも、チャーリーの最後の選択には深い印象が残っている。知能は下がっていっても、前を向いて生きようとする姿。それは決して悲しい結末ではなく、むしろ希望のようなものを感じさせる。
この作品の良さは、きっと「知能」や「愛情」といった言葉では簡単に説明できない。でも、確かに心に残る何かがある。それは多分、チャーリーという一人の人間の物語を通して、自分たち自身の中にある大切な何かに気付かせてくれるからなのかもしれない。