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自分なりのストーリーを作ること


仕事もプライベートも、あらゆる場面において、“こうしたら、ああなる。を想像する”姿勢が弱いと行き当たりばったりの人生になってしまいそうで怖くなる。

裏を返すと、想像しようとする姿勢が習慣が付いていて、想像のパターンを多段かつ複数持ってる人というが、仕事でいうと、俗に言う”デキる人”、“優秀な人”なのかもしれない。「日本の経営」を創るに書いてあったけど、因果律をたくさん貯めるという話もおそらく同じだろう。一般論として、経営者は優秀な人が多いだろうし。

経営者人材というのは、経営的な打ち手としてどのボタンを押したら、どんなことが起きるかっていう経営の「因果律」みたいなものを、頭の中にたくさん貯めることが大切だと。

“こうしたら、ああなる。を想像する”とは、“自分なりのストーリーを作る”という行為だと捉えている。前提として、“自分なりのストーリーを作る”とは、どういういうことかを改めて考えてみると、あるモノゴトを眺め、自分なりに解釈し、ストーリーを”再構築”することにあるのではないか。

この時点で、おそらく大多数の人がストーリーの再構築することはせず、だれかが作ったストーリーに乗っかるという選択をしているはず。(人生の大部分において俺もそうなっている。)

ストーリーが構築された段階では、正解・不正解というのはないはずではあるが、そのストーリーを実行すると、結果論として、正解・不正解が決定されてくるように思う。

また、この”自分なりのストーリー”の背後には、

という大きな分岐がある。

前者はシンプルな世界のストーリーだ。AをやったらBになる。というのをすべて自分でコントロールできる世界。逆に言うと、AをBにするためのパワープレー(現実化する力)が求められる世界でもある。

一方で、後者は、他者の視点や、将来の自分の視点などを踏まている複雑な世界のストーリーになる。AをやったらBになる。みたいなことは存在しないということを認めないといけない。複数の視点を盛り込みつつ、一貫性のあるストーリーを作る必要があり、盛り込む視点が多くなるほど認知負荷が高くなりがちな世界。

どっちかだけの世界で生きてる人はたぶんいない。ケースバイケースで、世界を行ったり来たりしているはずなので、自分が今どっちの世界にいるのかは客観視できるとよいのかもしれない。

ということを最近は考えてたりしてみた。