『集中力はいらない』を読んだ
集中したい環境にあるので、逆説的なタイトルの本を読んだ。(森博嗣さんの著書だったってのもあるが)
言い回しとかがいちいちスキなので、集中とは関係ないところでのピックアップが多くなったしまったけど、メモ。
ものごとにのめり込まない、あるものを見ていても常に別の視点から見ようとする、同時に逆の立場から考える、自分の抱いた感情や自分の意見に対して、すぐに反論を試みる、常識的なもの、普通のものを疑ってかかる、などなど、まとめれば、多視点、反集中、非常識、もっと言えば、「天の邪鬼な頭」ということになる。 大事なことは、まずは観察すること。この観察したものは素直に捉える。自分の目で見たもの、自分が実際に試したものは、見間違いや勘違いがないかぎり正しい。しかし、それを自分の頭にどう入れるのか、という部分では注意が必要で、絶対に鵜呑みにしない、ということだ。
“観察する”というのは、今後個人的には重要なキーワードになるかもなーと考えさせられた。 モノゴトを”観察する”と、また違った一面に来づけるのかもしれないが、この本的に観察に”集中する”のは本末転倒なんだろうな。
よく、「そんな研究が何の役に立つのか?」という言葉を聞く。ついこのまえも、「三角関数なんか学校で教えても、社会に出て役に立たないではないか」と発言した政治家がいたらしい。 こういった発言は、「自分の役に立つことがすべてだ」という極めて集中した思考に基づいているだろう。自分や、自分の利益しか見えていない。それを言う人には、逆にこう尋ねたくなる。「あなたは、何の役に立つのですか?」と。あるいは、「役に立つこと以外に、価値はないのですか?」と。 音楽も絵画も、社会の役に立っているだろうか。天文学も数学も、本来は役に立てようとして始まったものではあるけれど、それ以前に、その探求が人間の価値だったのではないのか。
S&M シリーズでも出てきたな。度の本だったっけ? ただただスキ。
多くのコンプレクスは、人と自分を比較する知性によるものですが、ごく限られた範囲の他者が社会の全体だと誤認することも多いように思います。何故、あの人と比べるのか、ということです。比較対象を勝手に決めているのではないでしょうか。
自分の見えている世界が全てではないと気付かさせてくれる。