『暇と退屈の倫理学』を読んだ
概念を食っても満たされない。
ちゃんとした浪費は腹が満たされる 日々の生活のいろんな活動を楽しむ、楽しみには思考が付きまとう。 思考する瞬間はその環世界の中で動物的になる。 動物的になることで退屈から離れられる。
1/
実際にラッセルの退屈論を検討しよう。 退屈とは何か? ラッセルの答えはこうだ。 退屈とは、事件が起こることを望む気持ちが くじかれた ものである。 どういうことだろうか? ラッセルの言わんとするところを理解するためには、ここで「事件」が何を意味しているのかを明確にしなければならない。 ここに言われる「事件」とは、 今日を昨日から区別してくれるもの のことである。
2/
幸福な人とは、楽しみ・快楽を既に得ている人ではなくて、楽しみ・快楽を もとめることができる 人である、と。 楽しさ、快楽、心地よさ、そうしたものを得ることができる条件のもとに生活していることよりも、むしろ、そうしたものを心から もとめることができること こそが貴重なのだ。
3/
〈物を受け取ること〉とは、その物を楽しむことである。 たとえば、衣食住を楽しむこと、芸術や芸能や娯楽を楽しむことである。
4/
楽しむことは思考することにつながる ということである。 なぜなら、楽しむことも思考することも、どちらも 受け取ること であるからだ。 人は楽しみを知っている時、思考に対して開かれている。 しかも、楽しむためには訓練が必要なのだった。 その訓練は物を受け取る能力を拡張する。 これは、思考を強制するものを受け取る訓練となる。 人は楽しみ、楽しむことを学びながら、ものを考えることができるようになっていくのだ。 これは少しも難しいことではない。 食べることが大好きでそれを楽しんでいる人間は、次第に食べ物について思考するようになる。 美味しいものが何で出来ていて、どうすれば美味しくできるのかを考えるようになる。 映画が好きでいつも映画を見ている人間は、次第に映画について思考するようになる。 これはいったい誰が作った映画なのか、なぜこんなにすばらしいのかを考えるようになる。他にいくらでも例が挙げられよう。