『センスのいらない経営』を読んだ
タイトル的に新規性のあるなにかに出会うことはないかなーと思っていたので手にとってなかったのですが、著者の福島さんの登壇やTwitterを目にする機会が最近は多かったので、(Kindleで50%OFF?とかだったというのもありますが)その流れで読んでみました。
(後ほど抜粋しますが)特に「意思決定」と「判断」の話はお気に入りです。
以下、抜粋&コメントです。
不確実性の高い時代では、何度も「トライ&エラー」を繰り返すことができる人が強い。 そうしていったんモデルが出来たら、そのプロセスを明確にして、いつでも再現できるようにしなければいけません。 そしてさらに、絶えずチューニングを続けていく。
不確実性の高い環境→トライ&エラーが必須というのは大前提で、そのトライ&エラーの先にある再現性のあるモデルをつくれるかどうかまでを意識できないと中途半端になってしまうんでしょうね。
人が何かを選択すべきとき、判断材料が比較的容易に出揃っていて、決めるだけでいいことと、判断材料が揃っていなくても決めなければいけないことの2種類があります。 … 判断材料はすべて揃っている。誰の目から見てもどちらを選べばいいかは明らかなのに、その決定のためだけに上司、役員の判子がいる。そうした会社もあると思いますが、とても非効率的だと思います。
判断=判断材料が比較的容易に出揃っていて、決めるだけでいいこと
意思決定=判断材料が揃っていなくても決めなければいけないこと
ということだと思うんですが、人は「意思決定」という言葉に囚われがちなので、本当はその選択がどっちなのかは見定めないといけないなーと。
そもそもビジネス的な成功に繋がった判断を「正しい判断」とするならば、正しいかどうかは、すべて事後的に分かるものです。 そんな正しさを求めて迷えば判断が遅くなるのは当然ですし、事前に「正しいかどうか」ばかりを考えること自体が不毛です。 「正しい判断」を求めて時間をかけるというのは、自分の中で判断基準が明確ではないからです。 そういう自分の基準がない人ほど、「もっと情報が欲しい」「まだ決められない」といって判断を先送りしてしまいます。 それは決められないのではなくて、考えることができていないだけなのではないでしょうか。 判断基準がしっかりとしていれば、たいていのことは話を聞いた時点で判断できるはずです。
なんとなく「正しい判断」(だけ)をすることこそが最高という気持ちではいましたが、実際は「早くて正しい判断」>「(正しいかもしれない)早い判断」>「(時間がかかる)正しい判断」という順序なのかなと。
どれだけ判断材料を並べても、未知の部分が多く、統計的に判断が下せない。 その状況で決断をしなければいけない。 それを決めるのが経営者です。 分からないことを分かるようにするためには、「やってみる」しかありません。 そして、やってみることには、本質的にリスクが伴います。 そのリスクが大きくても、いまやらなくては先手を取れない。 そうであるならば、「やるぞ!」と決めて飛び込むしかありません。そう言うと毎日綱渡りのように聞こえますが、そうではありません。 むしろ、綱渡りをしないでいいようにするのが経営者の役目です。 自分の意思決定が会社の将来に関わるわけですから、当然重い責任が伴います。 会社が傾くような意思決定は避けなければいけません。 「イチかバチかの勝負が必要だ!」という経営者もいるかもしれません。 考えて考えて考え抜いて、もうこれ以上ないところまで考えた。 それでもイチかバチかの決断をしなければいけない。 心に淀みなくすべての人に対してそう言えるのであれば、確かに賭けに出てもいいのかもしれません。 しかし、本当にそこまで考えることができているでしょうか。 逆に、そこまで言い切れる人の意思決定の裏には、しっかりとした確信が存在しているはずだと思います。 綱渡りになっている時点で、戦略的に失敗しているわけです。
粒度によっては現場レベルでも意思決定の機会があるわけですが、意思決定によって発生するリスクを見極めること。そのリスクを最小化して、取るべきリターンを歳高する方法があるのかどうか。なのかな。