『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくかりやすい経済の話。』を読んだ。
わかりやすい言葉と事例を交えて、農耕時代から現代までの世界経済を歴史の変化について説明されている。
自分のように、経済についての関心や知識がなくてもサクサク読み進めれるのでおすすめ👍
本書を読む中で、「仕事を選ばなければ(希望の給料を下げ続ければ)仕事は見つかるはず。仕事が見つからないというのは甘えだ。」と考える失業否定派の人についての話があった。
「月に50ユーロでは食べていけないし家賃も払えない」とワシリーが抵抗すれば、「失業否定派」は肩をすくめて、「アフリカにははるかに少ない収入で暮らしている人がいる」と責める。要するに、高望みするなと批判しているわけだ。
この失業否定派の考え方について、(特に根拠はないのに)自分も同意見だったが、本書から認識を改めるべきだと思ったので、内容をまとめておくことに。
(※要約等は、誰か別の方におまかせ。)
失業否定派の意見
例えば、家を売ろうと思った人は、希望の値段で売却できるかどうかは別として、値段を下げ続ければ、いずれは買い手が見つかる。
これと同様に、失業者も仕事を選ばなければ(希望の給料を下げ続ければ)仕事は見つかるはず🤨
というのが、失業否定派の意見らしい。
上でも書いた通り、これまでは自分も同意見だった。
ただ、この考えには深刻な欠陥がある。
交換価値と経験価値
「家を売ること」と「労働力を売ること」の違いについて考える前に交換価値と経験価値について、簡単にまとめる。
□交換価値
市場で何かを交換するときの価格(市場価格)を反映したものが、交換価値。
つまり市場に出回る値段のついたものは、交換価値を持っている。
□経験価値
例えば、家でお笑い番組を見て家族と笑い合うことや、友達と公園で遊ぶことなど。
これらには、交換価値はなく、全く別の種類の価値がある。
これの価値を経験価値と呼ぶ。
□交換価値と経験価値は対極にある
最近はどんなものであっても商品と思われている。
つまり、「あらゆるものが交換価値で測ることができると思われている。」ということ。
本書では、献血市場を事例にして、それは勘違いであることが書いてあった。
献血のように、無償で何かをしてあげようと思う人の行動に対して、その行動に対してお金を与えると、その行動をする人の数は減る。
という行動経済学的な視点で見ても、あらゆるものが交換価値で測ることができるというのは、(一部は)勘違いだろうというのは想像がつく。
ただ、今まで値段が付けられなかったモノ・コトに交換価値を反映し、それらを主軸にしてグロースするサービスなどが徐々に増えてきている。
今後も経験価値を交換価値に変換するような流れはより強くなるだろうし、100%勘違いというわけではないかなと個人的には思う🧐
「家を売ること」と「労働力を売ること」の本質的な違い
話を戻そう。
では、失業否定派の人の考え方が誤っていて、「家を売ること」と「労働力を売ること」に違いがあるとするならば、どういった点で違うのか🤔?
□家を売ること
家の販売価格(交換価値)は、経験価値に基づいている。
簡単に言うと、買った家での生活(例えば、家族揃ってTVを見ながら団らんしたい。など)を想像して、購入する家の価格を決めている。
ということ。
当たり前だが、家に限った話ではなく、例えば車やトマトなど、市場に出回るすべての商品で、この図式は当てはまる。
□労働力を売ること
労働力それ自体の価値は、経験価値には基づいていない。
市場において、労働力自体を欲しがる人は存在しない。
人か本当に欲しいのは、労働によって生み出される製品だ。
製品の交換価値は、それの経験価値に基づいて決定することはできるが、製品を生み出す労働力の交換価値に、経験価値を反映することはできない。
例えば、トマトを食べることには経験価値が存在するため、トマト自体には、経験価値に基づく交換価値が存在するが、トマトを栽培する労働力には経験価値が存在しない。
労働力の交換価値は、製品の交換価値から逆算して算出されるということだろう🧐
□労働力として人を雇用する条件
(労働力の交換価値は、製品の交換価値から逆算して考えられると書いたが、)労働力として人を雇用するというのは、2つの交換価値から決定される。
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製品(車やトマト)を生み出すことに貢献で増える売上の交換価値
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雇用することで発生する給料とその他諸々の費用の交換価値
つまり、雇用する側は、👇の2点を確信できれば、労働者を雇用するということになる。
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労働者を雇用することで増えた製品を消費者が購入してくれること。
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購入によって発生する売上が、労働者の給料等を上回っていること。
□労働力を売ることの特徴
上記の内容より、雇用する側が、消費者が(自身の)製品を購入してくれる。と思えることが、労働者雇用の大前提にある✋
そして、消費者が製品を購入するかどうかは、彼らの金銭的な余裕(経済状況)に左右される。
つまり、**労働者を雇用するかどうかは、消費者の金銭的な余裕に対して、雇用する側がどう考えているかによって左右される。**ということになる。
ルソーの鹿狩りのように、集団全体が悲観的になった場合、 雇用側は先行きに不安を感じ、売上の見込みが立ちそうにないと思ってしまうと、労働者を雇用することはない。
逆に楽観的に働くと、労働力は雇用される。
だから失業否定派は間違っている
以上のことから、労働者の雇用は、経済全体の先行きに対する楽観と悲観に左右されるため、単純に賃金を引き下げても雇用は増えないということになる。
家を売ることと、労働力を売ることを同様のものとして考えてしまい、労働力の交換価値である給料や賃金の引き下げてしまうと、それによって発生する悲観的な考えによって、失業が増える可能性すらある。
だから失業否定派は間違っている。
というのが本書の主張。
おわりに
本の一部の内容の要約になってしまった🤨
家と労働力を売ることのように、表面的な事象をなんでも同一視してしまうと、本質を見誤るなと反省…😞
失業否定については、経済への知識等が必要なので、見極めが難しいと思うが、自分の身の回りで発生するような事象の表層だけに目を向けてしまわないように…!